野馬土手 〜小金牧の残光
江戸時代、東葛地域には徳川幕府直轄の広大な放牧場がありました。それが「小金牧」で、上野牧、高田牧、中野牧、下野牧、印西牧、庄内牧の6つの牧に分かれ、江戸時代を通じて多くの軍馬が育ちました。この辺りはもともと軍馬の産地。平将門や、福島の相馬地域に野馬追いを伝えた相馬一族も、この地で馬を放牧したと言われています。
小金牧は田畑に適さない痩せた下総台地が選ばれたとはいえ、多くの村々がこの小金牧に隣接していました。まだ人に慣れない野馬が田畑を荒らすと大変なので、村人が牧と村を分ける土手を築きました。それが「野馬土手」です。東葛地域にはこの野馬土手がまだ残されており、貴重な文化遺産となっています。
ただ、こうした野馬土手も東葛地域の都市化の波に飲まれ、次々と消えつつあります。なにより、それが江戸時代の遺構であることに誰も気付かずに、壊されていくのは残念なことです。東葛地域をポタされている方は、ぜひ野馬土手を探してみてください。きっと、時を越えて心に響いてくるものがありますよ。
前置きが長くなりましたが、東葛地域に数ある野馬土手のうち、私が訪ねたものをご紹介します。
■松ヶ丘の土手 〜日本一の野馬土手 (上野牧) ←東葛人の一押し


流山市と柏市の境、JR常磐線の南柏駅の近くに残る野馬土手です。野馬土手研究の青木更吉先生によると、この土手が「日本一の野馬土手」とのことです。青木先生は福島や長野、宮崎など日本中に残る野馬土手を見て歩かれたそうですが、これほど見事な土手はほかにないそうです。本当に貴重な文化遺産です。ちなみに写真写りもバツグンです(笑)
この野馬土手はちょっとした林になっていて、土手の上を歩けるんですが、今までは歩いてもいいものかどうか、判断がつきませんでした。それが青木先生に
よると、人が歩くことで土手の土が固められ、崩壊を防ぐ効果があるとのこと。それに人が通ることで、ここにゴミを捨てる人もいなくなるので、二重に土手を
守る意味があるとのことでした。ということで、安心して土手の上を散歩できます。
本来の野馬土手は、このように二重土手が基本です。しかも一方が、もう一方より高くなっています。そして真ん中には堀が彫られていました。今では随分埋もれてしまっていますが、当時V字型の深い堀だったとのことです。で、高い土手の側が村、低い土手の側が牧です。この構造のために、馬は野馬土手を越えることができませんでした。ちなみに、この土手は村側が今の流山市松ヶ丘、牧側が柏市豊四季です。
残念なことに2008年8月に、この野馬土手のある緑地が3分の2ほど伐採されてしまいました。あの林自体の涼やかさ、静けさは何にも替えがたい存在でした。大変残念でが、野馬土手は残されています。詳しくはこちらで。


日本一の野馬土手の近く、国道6号線の北側の住宅街に埋もれるように残る野馬土手です。じょうどT字のようになっており、−と|の間に隙間が開いています。野馬を捕まえるために追い込む勢子土手だったようです。|の方は国道6号を越えた南側にも、わずかに残っています。
■初富の捕込 〜野馬追いの施設 (中野牧) ←東葛人の二押し


鎌ヶ谷市初富の捕込ですです。北総線北初富駅の近くにある野馬土手です。ただ、初富の捕込が他の野馬土手と違うのは、自由奔放に育ててきた馬を捕まえるための施設跡なのです。一カ所に追い込んで捕まえるため、土手が袋状の“込”になっています。
今まで私有地なので勝手に入るわけにはいきませんでしたが、いつの間にか中に入って見学できるようになりました。ただし、土手に上ることは禁止されています。写真でははっきりとは分かりませんが、実際見るとすごい迫力です。5mほどの土手が三方を取り囲み、閉じ込められた馬のいななきが聞こえてきそうなほどです。
入り口の碑と説明板によると、この“込”は三つあり、現存しているのが、捕まえたもののまだ若い馬を牧に帰す「払込(はらいごめ)」という施設だそうです。

捕込の隣の貝柄山公園には、野馬の親子の像があります。現代の人間の親子に大人気のようですが、これが昔いた野馬であることを知る人はあまりいないようです。お父さんらしき人いわく「本物の馬はもっと大きいけどねぇ」。違います。お父さんのイメージしているのは、多分サラブレッドでしょう。日本古来の馬は、この像の通り短足なんです(笑)
■大青田の森の二重土手 (高田牧)


サッカーの名門、流通経済大学付属柏高等学校の敷地に沿って走る野馬土手です。場所は柏市の大青田の森の中、学校の校舎と立派なサッカー場を隔てる道に沿って土手が延びています。この土手も松ヶ丘の土手と同様、完全な二重土手として残っています。一部土手が切れており、そこから覗くと、野馬土手の形状を見ることができます。
■高田の土手 (高田牧)


大堀川の北部、柏市高田付近に点々と野馬土手が残っています。まずは、成顕寺の東側にある竹林の切り通しの道の入り口のところです。3mほど残る土手は四方を金網で完全に囲われています。これじゃあまりにも不自然ですが、一応貴重な遺構を守ろうという意思が働いているので、よしとしましょう。


成顕寺からしばらく東へ走り、熊野神社まで行くと、神社の裏手にも野馬土手がありました。神社のすぐ裏の土手(1枚目の写真)はごく普通ですが、道路を挟んで東側に残る土手(2枚目の写真)は見事な堂々とたる二重土手です。


さらに東へ少し行くと、住宅街に残る野馬土手に出会います。高さは1mほどで大したことはありませんが、やはり立派な二重土手です。住宅街の土手は途絶えながらも東へ伸びて、森へと続きます。森のふちが野馬土手です。西から東へ抜けると、右側に土手を見て、森の道を走ることになります。


森の土手は一瞬途切れますが、また満徳寺南の森に現れます。こうして見ると大堀川北部の高田牧の野間土手は結構残っていますね。でも、成顕寺の土手以外は放置されている感じで、いつまで残っているかちょっと心配になります。
■あかね町の土手 〜日本一有名(?)な野馬土手 (上野牧)

柏市のあかね町交差点に残る野馬土手です。柏レイソルの本拠地、日立柏サッカー場の脇にあり、多くの人の目に留まるので、日本一有名な野馬土手かもしれません。この土手も当然、二重土手でしたが、小さいほうの土手は削り取られて消滅しています。土手の足元に、野馬土手であることを世間に伝える碑が建っています。
■豊住の土手 (上野牧)


この野馬土手は柏市の豊住と豊四季を隔ています、住宅街にあるわりにはしっかりした土手として残っています。西端は東武野田線の線路で終わりますが、そこに歩道橋があり、こんな看板が掲げられています。どうやらこの土手は住民の皆さんに大事にされているようです。
■長崎の「おばけ土手」 〜驚きの四重土手 (上野牧)


流山市長崎に残る野馬土手です。写真ではよく分かりませんが四重の土手で、青木先生は「おばけ土手」と命名されています。鎌ケ谷や南柏の土手に比べて保存状態はよくないですが、それでも堂々たる風格があります。残念ながら写真写りが悪い土手で、四重の土手の構造を写真には収めることができませんので、現地でご確認ください。
■野々下の土手 (上野牧)

長崎の四重土手のすぐ近く、流山市野々下の住宅地に残る野馬土手です。この辺りの森は「ハヤブサの森」というらしいですが、随分伐採が進み、住宅地に変わってしまいました。この土手も木が切られており、いつまで残っているか心配な状態です。
■上新宿の土手 (上野牧)


素晴らしい田園風景が残る流山・上新宿の東側に沿って延びる野馬土手です。かなり風化していますが、ここの土手が面白いのは住民の皆さんの生活に溶け込んでいることです。土手がそのまま家の壁に使われており、趣きある景観を造り出しています。
■大畔の土手 (上野牧)

流山市大畔の東側にわずかに残る野馬土手です。道路と並行して低い土手と堀が続いていますが、注意しないと見過ごしてしまいそうです。青空駐車場の奥を見ると、こんもりした土手が見えます。
■市野谷の土手 〜大開発で消え行く野馬土手 (上野牧)


流山市の三輪野山との境界の市野谷側にも野馬土手が残っています。ここは元は、本物のオオタカの森の一部だったのですが、今やつくばエクスプレス開業と巨大道路建設に伴う市野谷の大開発で、住宅地へと変貌しつつあります。野馬土手は以前なら深い森の中にあったはずですが、今はむき出しの状態です。
そして新たに住民となられた方々の中で、これが野馬土手であることを知っている人は、ほとんどいないでしょうね。やはりこの土手も、近くの十太夫の野馬土手と同様、消滅する運命を辿りそうです。
■十太夫の土手 〜宅地開発により消えた遺構 (上野牧)


流山・十太夫の野馬土手ですが、もう涙するしかありません。深い森の残る素晴らしい場所にありましたが、つくばエクスプレス流山おおたかの森駅周辺の宅地開発に飲み込まれ、森もろとも破壊されてしまいました。2枚目の写真は2008年6月に撮ったものですが、もう完全に整地されてしまっていました。4月には1枚目の写真のように、まだ土手が残されていましたが、今では端の方に20〜30メートルほどの土手が残されているのみです。
■五香六実の土手 〜都市化の荒波に耐えた野馬土手 (中野牧)


松戸市にあるこの野馬除緑地は、オウル五香店(旧・ダイエー五香店)の脇にある見事な土手です。この五香六実の野馬土手は、JR常磐線南柏駅の近くの野馬土手と並ぶメジャー級の文化遺産です。何度も走ったことがありますので、その存在は知っていましたが、どういうわけか私はその雄姿をきちんと眺めたことがありませんでした。
改めて訪ねて眺めると、都市化の進んだ五香でよくぞ残った、という感じです。江戸時代に小金牧に入るための木戸の跡地も残っています。松戸市の文化財として保存されるそうなので、この土手の未来は一応安泰のようです。


五香六実の野馬土手の周りには、昔は一続きであったであろう野馬土手の断片が、あちらこちらに残っています。この土手もその一つ。五香駅のすぐ近くにあります。ご覧のように駐車場や駐輪場の出入り口にするため、土手がスッパリと切り取られていました。
こういうシチュエーションだと、「なんと無残な」というところでしょうけど、ここまで見事に切り取られていると、なんか逆に面白いです。切り取られた断面を見て、かまぼこを思い浮かべてしまいました(苦笑)。とにかく、このまま残ってほしいです。

五香駅の近くのこの神社にも、わずかですが野馬土手が残ります。実は、私がPacific-18やMTBのAttitudeXを買った「サイクルサービスおおやま」さんの並びにある金比羅神社なんですが、この裏側に見える盛り土が野馬土手です。この辺りは何度も行っていますが、あの辺りは完全に市街化しています。そこにこんな静かな神社があり、野馬土手が残されているとは、思いっきり驚きました。
■高柳新田 野馬除土手の土手 (中野牧)


松戸グリーンセンターの「高柳新田 野馬除緑地」の野馬土手です。ここの土手は高さがなく、言われなければ気が付かず、単なる植え込みと思ってしまいそうです。ただ、小金牧と野馬土手をイメージして作られた馬のレリーフはとても存在感があり、なかなか見事です。
でもですねぇ。このレリーフの馬、サラブレッドなんですよね。青木更吉先生も「小金牧にはこんな馬はいないよ」と著書に書かれていますし、以前受講した野馬土手講座でもぼやいてらっしゃいました。もしこのレリーフが日本古来の馬だったら、さぞや素晴らしかったでしょうね。
■野田市役所前の土手 (庄内牧)


小金牧の最も早くに廃止された庄内牧を囲う野馬土手です。300年近く前にその役割を終えたとはいえ、かなりしっかりとした土手として残っています。ただ、野田市役所前の土手はあまりに整備されすぎて、少し萎えます(苦笑)。それよりも、市役所前を南に走ったところにある土手のほうが、野馬土手の遺構の雰囲気があります。
■梅郷のゴルフ場に残る土手 (庄内牧)


野田市の千葉カントリークラブ梅郷コースの南側に、庄内牧の野馬土手があります。庄内牧は小金牧のうち最も早くに廃止されたため、高田牧など他の小金牧の土手に比べると土手の形がはっきりません。しかしこの土手は、かなりしっかりした二重土手として残っていました。この土手のほとんどはゴルフ場の敷地内にあります。そのために壊されずに残ったようです。
■木下街道に残る土手 (印西牧)


小金牧の中でも離れ小島とでも言うべき印西牧の野馬土手です。印西市の白幡には木下街道(県道59号)の西側に大きな森がありますが、その森の東端、木下街道に沿って野馬土手が伸びています。ただ、この野馬土手はちょっと分かりにくいです。よく見ると2重土手であることが分かるのですが、パッと見では単なる道路脇の溝ぐらいにしか思えません。
■泉新田大木戸野馬堀遺跡(印西牧)


印西市の泉と和泉の間を走る野馬土手です。この辺りで木下街道が印西牧を貫通し、名前の通り、木戸が置かれていたようです。写真ではよく分かりませんが、高さはないものの、それなりの二重土手です。野馬土手と言わずに野馬堀というのは、土手の高さが失われ、堀だけが目立つからでしょうか。