野馬土手 〜小金牧の残光

60カ所の野馬土手を収録!

 江戸時代、水戸街道が通る東葛地域を中心に徳川幕府直轄の広大な放牧場がありました。それが「小金牧」で、上野牧、高田牧、中野牧、下野牧、印西牧、庄内牧の6つの牧に分かれ、江戸時代を通じて多くの軍馬が育ちました。この辺りはもともと軍馬の産地。平将門や、福島の相馬地域に野馬追いを伝えた相馬一族も、この地で馬を放牧したと言われています。

 小金牧は田畑に適さない痩せた下総台地が選ばれたとはいえ、多くの村々がこの小金牧に隣接していました。まだ人に慣れない野馬が田畑を荒らすと大変なので、村人が牧と村を分ける土手を築きました。それが「野馬土手」です。東葛地域などにはこの野馬土手がまだ残されており、貴重な文化遺産となっています。

■JR常磐線南柏駅そばの松ヶ丘の野馬土手(上野牧)


 ただ、こうした野馬土手も都市化の波に飲まれ、次々と消えつつあります。なにより、それが江戸時代の遺構であることに誰も気付かずに、壊されていくのは残念なことです。近くにお住まいの方やサイクリングをされている方は、ぜひ野馬土手を探してみてください。きっと、時を越えて心に響いてくるものがありますよ。

 前置きが長くなりましたが、東葛地域などに残る野馬土手のうち、私が実際に訪ねて写真を撮った60カ所の野馬土手をご紹介します。


上野牧の野馬土手
上野牧(かみのまき)は小金牧のうち、現在の柏市豊四季を中心にJR常磐線柏駅、南柏駅あたりにあった牧です。野馬土手は主に流山市、そして柏市に残っていますが、つくばエクスプレス関連の開発で急ピッチで消滅しています。

高田台牧の野馬土手
高田台牧は小金牧のうち、現在の柏市十余二、高田、西原、柏の葉あたりにあった牧です。当初は上野牧の一部でしたが、享保年間に分離されて成立しました。野馬土手は柏市と流山市に残っています。

中野牧の野馬土手
中野牧は小金牧のうち、現在の鎌ケ谷市初富、松戸市五香、六実を中心に柏市、白井市にまで広がっていた最大の牧です。野馬土手は鎌ケ谷市、松戸市、柏市、白井市に残っています。

下野牧の野馬土手
下野牧は小金牧のうち、船橋市二和、三咲をはじめ鎌ケ谷市、八千代市、習志野市、千葉市まで広がっていた牧です。野馬土手は船橋市や鎌ケ谷市、千葉市に残っていますが、都市化に伴い急ピッチで消滅しています。

印西牧の野馬土手
印西牧は小金牧のうち、現在の印西市や白井市に広がっていた牧です。唯一印旛郡(ほかの牧は東葛飾群)にあり孤立していました。野馬土手は印西市に残っていますが、現存する土手は極めて少ないです。

庄内牧の野馬土手
庄内牧は小金牧のうち、野田市にあった牧です。明治時代になって廃止されたほかの牧と違い、およそ300年前の江戸時代中期に廃止されたため、野馬土手の風化が進んでいます。

※庄内牧は小金牧の一つと数えられていますが、庄内牧は小金牧ではないと私は考えています。詳しくはこちらをお読みください。



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