高田台牧の野馬土手〜小金牧の残光

高田台牧は小金牧のうち、現在の柏市十余二、高田、西原、柏の葉あたりにあった牧です。当初は上野牧の一部でしたが、享保年間に分離されて成立しました。野馬土手は柏市と流山市に残っています。
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■正連寺の土手


 柏市正連寺の野馬土手です。国道16号の東、香取神社の脇になだらかに続く、二本の道に挟まれた土手です。実は、ここは何度も自転車で走っているのですが、かなりの期間、これが野馬土手だとは思わなかったです。なんせ高さがありません。農家の花壇か何かと思っていましたが、正真正銘の野馬土手でした。


■こんぶくろ池の土手


 こんぶくろの池です。ここはいつ来ても本当に美しいです。その中にひっそりと佇む野馬土手です。ここに野馬土手があるということは、当然こんぶくろ池や弁天池は野馬たちの水飲み場だったわけです。こんな美しい森の中で、馬が湧水を飲んでいた・・・想像するだけで絵になります。こんぶくろ池や野馬土手のある 「こんぶくろ池自然博物公園」の詳細については、こちらでどうぞ。


■大青田の森の二重土手


 サッカーの名門、流通経済大学付属柏高等学校の敷地に沿って走る野馬土手です。場所は柏市の大青田の森の中、学校の校舎と立派なサッカー場を隔てる道に沿って土手が延びています。この土手も松ヶ丘の土手と同様、完全な二重土手として残っています。一部土手が切れており、そこから覗くと、野馬土手の形状を見ることができます。


■駒木台の土手


 流山市駒木台の八木郵便局の前にある野馬土手です。民家と民家の間の小さな畑に埋もれるように残っていました。予備知識なしには、この土手を見ても野馬土手とは気づかないでしょう。


■十余二の土手


 柏市十余二の県道47号、守谷街道の北側に残る土手です。守谷街道沿いに小さな厳島神社があり、そこに昭和29年に建立された「高田原開拓碑」が建っています。そのすぐ北側の青空駐車場の南側に現存しています。



 十余二の守谷街道の南側には、守谷街道に並行して存在感のある土手が残っています。ただ、この野馬土手はもうダメかもしれません。というのも、十余二は今(2010年4月現在)、大開発の最中で、この野馬土手も間もなく崩されてしまうかもしれないのです。二重土手だったようですが、現存するものでは確認できませんでした。



 十余二の守谷街道の南側には、守谷街道に直角に走る土手も残っています。工業団地に突き刺さるような形で現存していますが、この土手は当分存続できそうです。東西に走る道路が土手を分断しており、最初の写真がここ、後の写真がここです。


■高田の土手


 大堀川の北部、柏市高田付近に点々と野馬土手が残っています。まずは、成顕寺の東側にある竹林の切り通しの道の入り口のところです。3mほど残る土手は四方を金網で完全に囲われています。これじゃあまりにも不自然ですが、一応貴重な遺構を守ろうという意思が働いているので、よしとしましょう。



 成顕寺からしばらく東へ走り、熊野神社まで行くと、神社の裏手にも野馬土手がありました。神社のすぐ裏の土手(1枚目の写真)はごく普通ですが、道路を挟んで東側に残る土手(2枚目の写真)は見事な堂々とたる二重土手です。



 さらに東へ少し行くと、住宅街に残る野馬土手に出会います。高さは1mほどで大したことはありませんが、やはり立派な二重土手です。住宅街の土手は途絶えながらも東へ伸びて、森へと続きます。森のふちが野馬土手です。西から東へ抜けると、右側に土手を見て、森の道を行くことになります。



 森の土手は一瞬途切れますが、また満徳寺南の森に現れます。こうして見ると大堀川北部の高田牧の野間土手は結構残っていますね。でも、成顕寺の土手以外は放置されている感じで、いつまで残っているかちょっと心配になります。


■モラージュ柏に残る土手


 ショッピングセンターのモラージュ柏とマンションの境に残る野馬土手です。この野馬土手は大堀川の北側に点々と残る高田牧の土手の東端です。それにしても、よく野馬土手が残ったものですね。この辺りはモラージュ柏をはじめイオンタウンやヤマダ電機が集る商業地区として整備され、周りとは全く違う景色です。

 野馬土手は西側から立ち上がり、東に行くほど高くなります。東側は金網のフェンスで完全に隔離されており、よく見えないのが少し残念ですが、これならば永久保存されることでしょう。



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