上野牧の野馬土手~小金牧の残光

上野牧(かみのまき)は小金牧のうち、現在の柏市豊四季を中心にJR常磐線柏駅、南柏駅あたりにあった牧です。野馬土手は主に流山市、そして柏市に残っていますが、つくばエクスプレス関連の開発で急ピッチで消滅しています。
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■松ヶ丘の土手 ~日本一の野馬土手 東葛人のお薦め


 流山市と柏市の境、JR常磐線の南柏駅の近くに残る野馬土手です。野馬土手研究の青木更吉先生によると、この土手が「日本一の野馬土手」とのことです。青木先生は福島や長野、宮崎など日本中に残る野馬土手を見て歩かれたそうですが、これほど見事な土手はほかにないそうです。本当に貴重な文化遺産です。ちなみに写真写りもバツグンです(笑)

 この野馬土手はちょっとした林になっていて、土手の上を歩けるんですが、今までは歩いてもいいものかどうか、判断がつきませんでした。それが青木先生に よると、人が歩くことで土手の土が固められ、崩壊を防ぐ効果があるとのこと。それに人が通ることで、ここにゴミを捨てる人もいなくなるので、二重に土手を 守る意味があるとのことでした。ということで、安心して土手の上を散歩できます。

 本来の野馬土手は、このように二重土手が基本です。しかも一方が、もう一方より高くなっています。そして真ん中には堀が彫られていました。今では随分埋もれてしまっていますが、当時V字型の深い堀だったとのことです。で、高い土手の側が村、低い土手の側が牧です。この構造のために、馬は野馬土手を越えることができませんでした。ちなみに、この土手は村側が今の流山市松ヶ丘、牧側が柏市豊四季です。

 残念なことに2008年8月に、この野馬土手のある緑地が3分の2ほど伐採されてしまいました。あの林自体の涼やかさ、静けさは何にも替えがたい存在でした。大変残念でが、野馬土手は残されています。詳しくはこちらで。



 この日本一の野馬土手は途中ところどころで途切れますが、そのまま北西へと住宅街を分断するように伸びていきます。ただし、住宅街では二重土手ではなく、一本の土手として残っています。その先端はこの辺りです。この土手は形だけでなく、距離の面でも本当に日本一の野馬土手ですね。

 この日本一の野馬土手のある流山市の松ヶ丘やJR常磐線南柏駅の周辺には、野馬土手が多数残っています。詳細は下の地図でご確認ください。


より大きな地図で 東葛地域に残る野馬土手(暫定版) を表示


■東深井の土手


 流山市の東深井の南端、江戸川台東と接するところに現存する土手です。本来は、江戸川台駅の東側に残る土手が北へ伸び、やがて西に向きを変えて、この土手と接続していたようです。どうやら二重土手のようです。


■美原に残る土手


 流山市美原に残る野馬土手。なかなか立派な野馬土手です。土手は美原の住宅街の道路に沿って南北に伸びていますが、南側から立ち上がり、北側は木々が生い茂っていることもあり堂々たる風格を感じます。

 1枚目の写真で野馬土手の右側、コンクリートの蓋掛け歩道がありますが、青木更吉先生の著書『野馬土手は泣いている』によると、それは本来、野馬堀だったそうです。つまり、野馬土手の東側に野馬堀が掘られていたようです。つまり、この野馬土手 and 野馬堀の東側が牧だったわけです。


■江戸川台の土手


 東武野田線の江戸川台駅の東側に残る野馬土手です。柏市西原に接する流山市江戸川台東の緑地帯として、きれいに整備されています。野馬土手を残すことを前提に整備されたとのことなので、この土手はこれからも安泰です。



 江戸川台駅の東側に残る野馬土手の南端です。この土手は南北に伸びており、北側は緑地帯の中にありますが、南側は道路に面しています。南端部分は、高さも随分低くなり、ちょっと見ただけでは野馬土手とは分かりません。


■西原と駒木台を分ける土手(上野牧?)


 柏市西原と流山市駒木台の境に現存する野馬土手です。高さのある立派な土手で、この辺りが市街地化したにもかかわらず、よく残ったものだと感心しま した。

 さて、この辺りは高田台牧と上野牧のちょうど境あたりです。この土手はどちらの牧のものなのかは、ちょっと微妙です。一応、大堀川の左岸が高田台牧、右岸が上野牧だとすると、大堀川の源流との位置関係から言って、おそらく上野牧の土手でしょう。ただ、私の知識では断言できません。


■上新宿の土手


 素晴らしい田園風景が残る流山・上新宿の東側に沿って延びる野馬土手です。かなり風化していますが、ここの土手が面白いのは住民の皆さんの生活に溶け込んでいることです。土手がそのまま家の壁に使われており、趣きある景観を造り出しています。



 上新宿の野馬土手は全部ではありませんが、ほうぼうで切断されてしまいました。現存する野馬土手の中でも屈指のものの一つでしたが、残念なことに、かなりの部分が失われてしまいました。土手の跡地は今、家庭菜園になっています。


■大畔の土手


 流山市大畔の東側にわずかに残る野馬土手です。道路と並行して低い土手と堀が続いていますが、注意しないと見過ごしてしまいそうです。青空駐車場の奥を見ると、こんもりした土手が見えます。


■市野谷の土手 ~大開発で消え行く野馬土手


 流山市の三輪野山との境界の市野谷側にも野馬土手が残っています。ここは元は、本物のオオタカの森の一部だったのですが、今やつくばエクスプレス開業と巨大道路建設に伴う市野谷の大開発で、住宅地へと変貌しつつあります。野馬土手は以前なら深い森の中にあったはずですが、今はむき出しの状態です。

 そして新たに住民となられた方々の中で、これが野馬土手であることを知っている人は、ほとんどいないでしょうね。やはりこの土手も、近くの十太夫の野馬土手と同様、消滅する運命を辿りそうです。


■十太夫の土手 ~宅地開発により消えた遺構


 流山・十太夫の野馬土手ですが、もう涙するしかありません。深い森の残る素晴らしい場所にありましたが、つくばエクスプレス流山おおたかの森駅周辺の宅地開発に飲み込まれ、森もろとも破壊されてしまいました。2枚目の写真は2008年6月に撮ったものですが、もう完全に整地されてしまっていました。4月には1枚目の写真のように、まだ土手が残されていましたが、今では端の方に20~30メートルほどの土手が残されているのみです。


■現存する十太夫の土手


 流山市十太夫の豊四季霊園の脇に残る野馬土手です。十太夫の土手は、北側がつくばエクスプレス流山おおたかの森駅周辺の大開発に飲み込まれて消滅しましたが、この南側の土手は健在です。


■「オオタカの森」の大開発で出現した土手


 十太夫の土手をさらに東側に延長したところにある野馬土手です。つくばエクスプレス流山おおたかの森駅周辺の大開発で姿を現したもので、V字型の断面をさらしているため二重土手の構造がよく分かります。ただ、工事の囲いの中にあるので、保存される可能性はほぼ無いでしょう。



 絶対に残らないだろうと思っていた野馬土手が、素晴らしいことに保存されました。生存確率ゼロと諦めていましたが、野馬土手の周辺が「おおたかの森東1号公園」として整備され、この野馬土手も鉄柵に囲まれて保存されることになったようです。


■駒木のおすわさまの土手


 「駒木のおすわさま」こと諏訪神社の北側に残る野馬土手です。野馬土手研究の第一人者である青木更吉先生によると、諏訪神社の北側に築かれていた野馬土手の一部だそうです。


■篠籠田の森の土手


 「篠籠田緑地公園」の森の中にある野馬土手です。本当に見つけにくいです。どちらかと言うと、公園には西側から入ったほうが見つけやすいでしょう。珍しい三重土手です。崩れやすい土なので、注意して見学してください。


■長崎の「おばけ土手」 ~驚きの四重土手


 流山市長崎に残る野馬土手です。写真ではよく分かりませんが四重の土手で、青木先生は「おばけ土手」と命名されています。鎌ケ谷や南柏の土手に比べて保存状態はよくないですが、それでも堂々たる風格があります。残念ながら写真写りが悪い土手で、四重の土手の構造を写真には収めることができませんので、現地でご確認ください。


■野々下の土手


 長崎の四重土手のすぐ近く、流山市野々下の住宅地に残る野馬土手です。この辺りの森は「ハヤブサの森」というらしいですが、随分伐採が進み、住宅地に変わってしまいました。この土手も木が切られており、いつまで残っているか心配な状態です。

 この土手も厳しい状況にあります。以前あった森の3分の2近くが、きれいさっぱり伐採されて宅地化されていました。なんでも土地が物納され国有地になり、その後、宅地化されてしまったそうです。古代の遺跡も出てきたそうですが、その跡形もありませんでした。



 野馬土手も丸裸にされてしまいましたが、皮肉なことに、そうなって初めて、この土手のスケールの大きさが分かりました。上の写真ではよく分かりませんが、“日本一の野馬土手”に匹敵する、長さ250mの堂々たる二重土手です。詳しくはこちらで。



 遂に、野々下の立派な野馬土手の大半が消えてしまいました。隣接するはやぶさの森が宅地開発されることになり、野馬土手の運命が懸念されていたのですが、こんな結果になっていまいました。詳しくはこちらで。


■豊四季駅の東に残る土手


 東武野田線豊四季駅の近くにある野馬土手です。「こんなところに、よくぞ残った」と思えるような立派な土手です。青木更吉先生の著書『野馬土手は泣いている』によると、ここの地主の方が道路工事で消える土手を自分の敷地内に移したため、土手は消滅を免れたそうです。


■千飼牧の野馬土手


 柏市豊四季の「千飼牧(せんがいまき)の野馬土手」です。この千飼牧は小金牧の中をさらに土手で囲った「お放ち馬囲い(御囲い)」で、品種改良用など特別な馬をこの囲いの中で飼育したそうです。その囲いの名残りが、この野馬土手です。この土手は分かりにくい場所にあります。マンションの駐車場から竹やぶを眺めると、見つけることができます。


■柏第二小学校東側の道沿いの土手


 柏第二小学校の東側に残る野馬土手です。わずか30mほどですが、高さがあり、堂々たる印象を受ける土手です。


■南柏、国道6号の両側に残る土手


 「日本一の野馬土手」の近く、国道6号線の北側の住宅街に埋もれるように残る野馬土手です。じょうどT字のようになっており、-と|の間に隙間が開いています。野馬を捕まえるために追い込む勢子土手だったようです。|の方は国道6号を越えた南側にも、わずかに残っています。




 その国道6号の南側に残る野馬土手です。JR常磐線南柏駅近くの緑地の東の縁に沿って南北に伸びています。以前は、そのまま国道6号にまで土手が達していましたが、国道6号近くの50mほどは削られて歩道になってしまいました。




 国道6号線の北側の住宅街にある野馬土手は、いったん途切れますが、道なりに東を行ったところ、レクサス営業所の裏手にも野馬土手が残っています。そのうち西側の土手の周りは整地化され、土手自体はレンガに囲われた形で保存されています。


■南柏駅東口に奇跡のように残った土手


 JR常磐線南柏駅の東口方面(実際にはJRの南側です)に奇跡のように残った土手です。この辺りには野馬土手が結構残っていましたが、南柏駅東口の再開発でほぼ壊滅。この一角だけがなんとか残りました。



 奇跡のように残った土手も壊されてしまいました。旧水戸街道沿いの野馬土手としては、最後の生き残りだったのですが、今では小さな公園に変わっていました。この土手は生き残ると思っていたのですが・・・うーん、残念です。


■豊住の土手


 この野馬土手は柏市の豊住と豊四季を隔ています、住宅街にあるわりにはしっかりした土手として残っています。西端は東武野田線の線路で終わりますが、そこに歩道橋があり、こんな看板が掲げられています。どうやらこの土手は住民の皆さんに大事にされているようです。


■あかね町の土手 ~日本一有名(?)な野馬土手


 柏市のあかね町交差点に残る野馬土手です。柏レイソルの本拠地、日立柏サッカー場の脇にあり、多くの人の目に留まるので、日本一有名な野馬土手かもしれません。この土手も当然、二重土手でしたが、小さいほうの土手は削り取られて消滅しています。土手の足元に、野馬土手であることを世間に伝える碑が建っています。



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