■2月28日(土)


 流山市東初石にある「原ノ沢」の名残の池を訪ねました。オランダ観音として祀られている悲劇のペルシャ馬が斃れたのは、この原ノ沢のほとりです。当時はもっと広大な浅沼だったそうですが、今では住宅街の一角にその残影をとどめるにすぎません。もはや原ノ沢の地名も消滅していますが、やがて池自体も歴史の彼方に消えていくのでしょう。


■2月11日(水)


 タウン紙の『東葛まいにち』をふと見ると、この日、普門寺という曹洞宗のお寺で涅槃図を公開するとのこと。何でも千葉県の指定文化財で年に一度、2月11日に公開しているそうです。この普門寺は、よく走る利根川-利根運河接続道に面したところにあります。

中央の掛け軸が普門寺に伝わる『絹本著色釈迦涅槃図』だそうです。難しげな名称ですが、要は「お釈迦様が亡くなった時の情景を絹の反物に描いた絵」という意味です。こうした涅槃図は寺院には必ずありますが、普門寺の涅槃図は千葉県で最も古いものだそうです。普門寺自体よりも古く、1537年に描かれたとのこと。時は戦国の世、鉄砲伝来より6年前ですね。

 作者は卜仙という人だそうですが、この人の事跡は何も伝わっていないそうです。乱世を生きた謎の絵師は、どんな人だったのでしょうね。そして涅槃図にどんな思いを込めたか。美術的価値は?ですが、そんな妄想が楽しいです(笑)


■2月8日(日)


 この日の東葛地域は“爆風”の一日でした。関宿堀ルートを北に向かって走っていると風がどんどん強くなってきました。途中からは、爆風状態に状態に。もろに向かい風で地獄でした。上の右の写真は自転車で走りながら撮ったのですが、カメラをポケットに戻そうとしても戻せません。片手を離すと風にハンドルが取られて、危ないったらありゃしない。ひと冬に一度や二度は遭遇する嵐ですが、この日の爆風はことのほか強烈でした。


■2月7日(土)


 白井市と印西市の境、例の廃墟のある田園地帯に行くと、放し飼いの黒ヤギさんに出迎えていただきました(笑)。これまでは、訪れた時には“ヤギ小屋”に入っていましたが、今回は放し飼い状態でした。 「めぇーめぇー」と平和そうに鳴いていました。私を警戒するでもなく、カメラを向けるとしっかりカメラ目線をくれました(笑)。それにしても、分校に放し飼いのヤギ、ここはいったいどこだろうという気分です。


■2月1日(日)


 白井市平塚の鳥見神社の近くにある八幡大神宮です。この神社の雰囲気、もう最高です。まず参道にあたる森の小道が素晴らしい。それに鎮守の杜には神様だけでなく、モノノケが棲みついていそうな怪しさがあります。子供の頃に感じた神社の怖さが甦ってくるような雰囲気です。


■1月25日(日)


久しぶりに菅生沼の白鳥に会いに行きました。この白鳥たちは、手賀沼定住のコブハクチョウと違って、ロシアから渡ってきたコハクチョウです。昨年初めて見に行きましたが、その野生度に感動したので再度の訪問です。場所は天神山公園です。

 実は菅生沼の白鳥たちは、夕刻にねぐらへ向かうために、天神山公園を飛び立ちます。それは見事なものだと聞いていましたが、昨年は見ることなく終わりました。今回、天神山公園に着いた時は白鳥の飛行時間。空飛ぶ白鳥たちを見ることができました。白鳥たち皆、南へ向かって飛び立ちましたが、さて彼らのねぐらはどこにあるんでしょうね。


■1月24日(土)


 自転車仲間の皆さんと鴨鍋ツアーに行きました。行き先は埼玉県松伏町の「そば処 桂」さんでした。ところが、この日は聞いてないよの曇り&雨模様。住処を出て走り始めたら、雨がバラバラと降ってきました。たちまち、ほぼ土砂降り。地面に落ちる雨粒が水柱を立てます。あっという間に雨水がウェアーの内側まで染み込んできました。

 もう寒いったら、ありゃしない。いやホント死ぬかと思いました。でも鴨鍋が待っています。必死の思いで集合場所へ。雨はおさまりましたが、やはり寒い。皆さんとの挨拶もそこそこに、体を温めるため、まわりを走り回っていました(苦笑)

 さて桂さんへは、江戸川CRの右岸を素直に北上して向かいましたが、ここでも雨にたたられました。出掛けの雨よりも大したことはありませんが、それでもムチャクチャ寒い。足のつま先も冷えて凍傷にでもなりそうです。で、泣きながら走って、ようやく桂さんに到着しました。

 で、鴨鍋ですが、その前に。まずは蕎麦豆腐、最高です。鴨の刺身、もちろん最高です。鴨の煮込み、最高でございます。そして鴨のたたき、もうヤバイくらい美味かったです。そして、メインの鴨鍋。もう芯から温まりました。幸せになる美味さです。締めはうどんです。食したら、あまりの美味さに思わず脱力でした(笑)。


■1月17日(土)


 冬の手賀沼の夕暮れです。空気が澄み切った冬は、手賀沼が最も美しい季節です。夕暮れ時に手賀沼の畔に佇むと、寒さが体の芯まで入り込んできますが、その寒さも「いとおかし」です(笑)。水面を眺めていると、心が静まります。


■1月11日(日)


  流山の野々下にある野馬土手がこんな惨状です。この日ママチャリで見に行ったら、野馬土手の南側の木々が伐採され、野馬土手自体も写真のように何ヶ所もぶった切られていました。

 呆然です。以前あった森の3分の2近くが、きれいさっぱり伐採されて宅地化されていました。なんでも土地が物納され国有地になり、その後、宅地化されてしまったそうです。古代の遺跡も出てきたそうですが、その跡形もありませんでした。

 野馬土手も丸裸にされてしまいましたが、皮肉なことに、そうなって初めて、この土手のスケールの大きさが分かりました。冒頭の写真に写っている土手のうち、手前が小土手で奥が大土手です。江戸時代の小金牧を今に伝える堂々たる歴史的遺構です。

 この野馬土手は250mにわたり、はやぶさの森に守られて今に至りました。この土手はつぶされてしまうのでしょうか。写真のように、土手を分断したのは 道路を造るためだとしたら、土手が保存される可能性もあります。はやぶさの森の大部分が消えた今、なんとかこの野馬土手だけでも残ってほしいものです。


■1月10日(土)


 1月10日は「とじょうの日」でした。松戸に残る国の重要文化財にして、水戸藩最後の藩主、徳川昭武(あきたけ)の別邸「戸定邸」。その庭が一般開放され る日です。戸定邸自体はいつでも拝見できるのですが、庭を歩くことができるのは、毎月10日の「とじょうの日」だけです。

 で、戸定邸の庭です。和洋折衷の庭もさることながら、庭から見た戸定邸の全景が素晴らしい。戸定邸は玄関の方からは全体が見えず、良い写真も撮れないのですが、庭からだと、こんな全景が見えます。さすが徳川家の屋敷だけあって、風格のある建築物です。今は冬ですから、庭の芝生は枯れています。春に来たら、芝生の緑が映えてなお一層素晴らしいでしょう。


■1月3日(土)


 大堀川の澄み切った空と沈み行く太陽です。この年末年始は晴れの日が続き、空気も素晴らしく澄んでいますが、この日はそんな中でも屈指の美しさだったと思います。


■12月31日(水)


 大晦日は、例のダイヤモンド富士の名所で、2008年最後の日没を見てきました。写真はデジイチではなく、コンパクトデジカメで撮りました。撮影するつもりはなかったのですが、江戸CRを走っていてこの名所に着くと、カメラマンの皆さんが大集合。で、それに煽られて日没を待って、撮影してしまいました(苦笑)

 山頂に掛かった夕日が富士の北の縁に沿って沈んでいく姿は、なかなか美しゅうございました。それに、コンパクトカメラでも結構撮れます。2005年以来の「最後の日没」を収めることができました。


■12月27日(土)


 柏ビレジ水辺公園に併設されたビオトープの初冬です。寒い冬の景色の木道は良い感じでした。春夏秋冬、いつも美しいビオトープです。


■12月23日(火)


 富士山に沈む夕日です。埼玉側(吉川市)の江戸川サイクリングロード上でデジイチのα300で撮影しました。いわゆる“ダイヤモンド富士”ですが、この季節、東葛地域で見ることができます。


■12月13日(土)


 初めて自転車で海まで走りました。もう感動です! 東京湾ですけど(笑)。ここは船橋市の「ふなばし三番瀬海浜公園」。南に広がる海と東西に伸びる浜が素敵です。工場が建ち並ぶ一角にこんな景観があるなんて、思ってもいなかったです。大阪府の山里で育った私にとって、海に行くというのは旅など“非日常のイベント”でした。まさに憧れの海でした。


■12月7日(日)


 日曜日、柏と我孫子の市境のポタからの帰り道、「新坂川-豊四季ルート」に向かう大堀川の新堤橋で鮭の大群に会いました。ここは遡上した鮭が見られる場所として有名で、今年もいろんな方のブログで紹介されています。

 私も昨年初めて、ここで鮭を見ましたが、その時はわずか数匹。でも今回はすごい数です。最初、鯉かと思いましたが、体についた傷、それに疲れ果てた泳ぎ、間違いなく鮭の群れです。

 それにしても、なぜこんなに多くの鮭が大堀川に遡上してきたのでしょう。川で生まれた鮭がふるさとに戻ってくるのは3〜5年後。大堀川に鮭が出現したのが2006年ですから、彼らは大堀川がふるさとではありません。

 やはり利根川で放流された鮭が、誤って大堀川に入り込んできたのでしょう。手賀沼サイクリングロード沿いに埋められた、利根川と江戸川を結ぶ 28.5kmの導水路は、利根川の水を手賀沼や大堀川に注ぎます。そのふるさとに匂いに幻惑された鮭たちが、手賀沼を経て大堀川までやってくるわけです。

 それにしても、年々数が増えるのはなぜでしょう。人の手で放流された鮭が、人の手で作られた導水管の水に惑わされ、人の手で三面張りされた大堀川で一生を終える・・・うーん、私は鮭が大好物ですが、なんだかなぁと思います。

 大堀川で孵化した稚魚が帰ってきたなら、それはそれなのですが。帰ってくるとしたら、再来年あたりでしょう。さて、どうでしょうね。



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