最後の水戸藩主が暮らした戸定邸



 松戸に残る国の重要文化財「戸定邸(とじょうてい)」です。水戸藩の最後の藩主だった徳川昭武(あきたけ)の別邸で、後に松戸徳川家の本邸となります。徳川昭武は、明治維新のころにパリ万博に行った人です。戸定邸は明治17年に完成したそうで、実兄で最後の将軍、徳川慶喜もよく訪れたそうです。完全に都市化した松戸の中心街で、ここだけが違う空気が流れています。

 ちなみに私は戸定邸には、東葛地域に引っ越してきた20年前に一度だけ訪れたことがあります。改めて来てみて、何の記憶も残っていないことに驚きました(笑)。その頃は、水戸徳川家が明治維新後どうなったかなんて、なんの興味もありませんでしたから、すべて忘れてしまったのかもしれません。やはり関心あるものしか、記憶には留まりませんね。






 この戸定邸は7000坪もあるそうです。敷地は現在、戸定が丘歴史公園として邸宅とともに松戸市が管理しているそうです。改めて見ると、なんで記憶に残っていないんだろうというぐらい、屋敷も庭園も素晴らしい明治の建造物です。畳部屋で正座して使う洗面台なんか、もう感動ものでした。それに「あの広間で昼寝ができたら、どんなに幸せなんだろう」と思うほど、落ち着いた佇まいでした(笑)




 ガイドの方についていただき、徳川一族の話や屋敷の特徴などの解説を聞くと楽しいです。 私は歴史オタクを自認していますから、戸定邸の主やその一族については完全に頭にインプットされています(笑)。ただ、戸定邸そのものについては何も知らなかったので、とても参考になりました。

 右の写真の引き戸の取っ手ですが、細かい細工がほどこされています。サムネールをクリックしてみて下さい。葵の意匠が施されています。ガイドの方の説明によると、当初は学芸員も気づかなかった意匠とのこと。訪れた小学生のいたずらから、偶然発見されたそうです。この手の話、大好きです。もう、たまりませんねぇ(爆)。この手の話はガイドの方に説明していただかないと、絶対に知ることができませんので、感謝、感謝です。




 ガイドの方がとても残念がっているのは、「関東の富士見百景」の一つが失われたことです。なんでも、この戸定邸からは美しい富士山を眺めることができたそうです。徳川昭武もその絶景に魅かれて、ここに屋敷を建てたのかもしれません。

 ところが、右の写真のように、その富士山の前景に超高層のマンションが建ってしまったのです。この日は確認できませんでしたが、今や富士山は裾野だけがちょこっと見えるだけそうです。マンション自体には何の罪もありませんが、本当に残念ですね。




 ところで、毎月10日は「とじょうの日」でした。松戸に残る国の重要文化財にして、水戸藩最後の藩主、徳川昭武(あきたけ)の別邸「戸定邸」。その庭が一般開放される日です。戸定邸自体はいつでも拝見できるのですが、庭を歩くことができるのは、「とじょうの日」だけです。

 で、写真が戸定邸の庭です。和洋折衷の庭もさることながら、庭から見た戸定邸の全景が素晴らしい。戸定邸は玄関の方からは全体が見えず、良い写真も撮れないのですが、庭からだと、こんな全景が見えます。さすが徳川家の屋敷だけあって、風格のある建築物です。



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