旧花野井家住宅 〜国の重要文化財、流山から野田に移った牧士の家〜



 で、今日向かったのが、清水公園の南側にある旧花野井家住宅です。なんでも17世紀後半に建てれたそうで、見事な茅葺の家です。私の住処の近くにあったのを移築したものとのことで、国の重要文化財です。

 実はこの家、昭和46年まで花野井家の皆さんがお住まいになっていました。花野井家は牧士(もくし)の家系。牧士とは江戸時代に小金牧で馬の世話をしていた人々で、この家は唯一完璧な形で残されたものだそうです。




 中はこんな感じです。とても暗いです。でも、広間の囲炉裏がとてもいいです。





 土間も良いでしょ。ちなみにかまどですが、料理を作るだけでなく、煙で茅葺を燻して長持ちさせる役割も果たしていたとのことです。




 天井を眺めると、とても重厚な梁がありました。外へ出て茅葺を眺めてみると、やはり見事ものです。この家の管理人さんの女性がいらっしゃったので、「この 家は徳川幕府の馬を飼っていた人のお宅ですか」と聞いてみました。すると管理人さん、「私、よく知らないんです」。なんかちょっとガッカリです。

 ところで、この旧花野井家住宅を知ったのは、『小金牧を歩く』を読んだからです。この本は、東葛地域にあった江戸幕府の放牧場の小金牧や、その牧を囲った野馬土手を解説した本ですが、その中に旧花野井家住宅の話があって、是非見てみたいと今回訪れた次第です。

 実は流山市立博物館の講座で、この本の著者である青木更吉先生から直接、小金牧や野馬土手の話をお聞きする機会がありました。青木先生は『小金牧を歩く』以外にも『野馬土手は泣いている』などの著作があり、江戸時代の牧や野馬土手研究の第一人者の方です。

 講座はとても興味深かったのですが、聞いていて残念だったのは、旧花野井家住宅がなぜ野田市の清水公園近くにあるかという話です。この見事な茅葺の家は国の重要文化財。野馬の世話をした牧士の家で、昭和46年まで流山市の前ヶ崎にあ りました。それがなぜ、流山で保存されずに野田にあるのか。私は不思議に思っていたのですが、青木先生がその謎解きをしてくださいました。

 なんでも牧士のご子孫の花野井さんが、この家を手放すことを決断した時、文化財として保存してくれるように流山市に相談したそうです。でも、流山市はお 金がないと断り、代わりに保存に手を上げた野田市に移築されることになったとのこと。なんともったいないことでしょう。流山市民としたは残念ですね。




 ところで、この旧花野井家住宅の入り口には立派な門があります。ただ、この「薬医門」は江戸時代末期の建造で、旧花野井家住宅とは関係がありません。この門の手前の砂は見事に掃き清められており、歩くのに躊躇するほどでした。



トップページへ