デーダラボッチ伝説の地



 最近よくこの前を通ります。富士川を遡って千駄堀ルートへ出るコースをよく走っているからですが、このイボ弁天様の前の池、デーダラボッチの右足の足跡だそうです。

 デーダラボッチとは、ダイダラボッチなどとも言う伝説の巨人です。日本のあちらこちらで伝承されているらしく、私も小学生の頃、デーダラボッチの切り絵 を作った記憶があります。この巨人、とにかくデカイ。ヘソは雲あたり、頭はお日様に届くと言いますから、思いっきり胴長短足です(笑)

 右足があるんだから、左足の足跡もあるだろうと思い、調べたらやはりありました。ちょうどカタクリの群生地の近く、誓光院観音寺の東の弁天様がそれとのこと。さらに調べると、足跡は布施弁天のそばの「あけぼの山公園」のふもと、そして宿連寺や高田にあったそうです。みんな柏市です。

 そんなわけで、デーダラボッチの足跡を訪ねてみました。実は、デーダラボッチの足跡を調べていて面白いことに気付きました。東葛地域には駿河田中藩4万石の飛び地が点在していますが、その領地の村とデーダラボッチの足跡の場所が微妙に重なるのです。

 この飛び地自体が「碁石まじり」と言われるほど、天領や旗本領と複雑に入り混じっており、柏市、流山市、野田市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市に散らばる42カ村から成っています。

 その辺の話は私のブログ、東葛人的道楽のエントリーをお読みいただければと思いますが、デーダラボッチの足跡は宿連寺を除く他の4カ所はすべて田中藩の領地です。まあ、大名の領地と民間伝承の間に因果関係があったのかどうかは分からないのですが、なんか面白いですね。





 で、イボ弁天様の右足に対応する左足がここです。来てみると、何度もそばを走りすぎたところです。「こんなところに祠があるんだ」としか思っていませんでしたが、これがデーダラボッチの足跡だったんですね。やはり歴史や民話を知ると、ポタの面白さが違います。

 それにしても、この弁天様、なんと「厳島神社」が正式名です(驚)。てことは、本来祀られていたのは宗像三女神のはず。でも安芸の宮島、本家の厳島神社 自体が弁天様と一体化しているので、ノープロブレムでしょう。しかし、「厳島神社」との額の右隅に「俗ニ弁天様」とあるのは笑えます。




 で、デーダラボッチのもう一組の足跡を探して、まず布施弁天に行きました。足跡は左足だそうですが、もう埋められてしまったとのこと。ダメモトで行きましたが、やはり見つかりませんでした。仕方がないので、久しぶりに弁天様に会っていくことにしました。

 ここの弁天様は、足元には何度も来てますが、お会いするのは何年ぶりでしょう。以前訪ねてから、もう20年近くになるでしょうか。なんでも2008年で開山1200年とのことです。しかし、それにしてもド派手ですね。

 そう言えば、デーダラボッチがこの弁天様に恋し、あっさり振られたという言い伝えがあるそうです。デーダラボッチの足跡はすべて西を向いています。どうやら、弁天様に振られて去っていく、傷心の足跡のようです(笑)




 布施弁天の今はなき左足に対応する右足はこれです。宿蓮寺の郵便局の隣にありました。デーダラボッチの足跡といった解説はどこにもなく、ただ「宿連寺湧水」との看板だけでした(デーダラボッチの足跡はすべて湧水です)。でも、見つけられてよかった。

 そうすると、高田にあった足跡は左足になります。ただ、もう何の手がかりもないので、高田の足跡の探索はあきらめました。



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